5~6日目:キャンジン
ランタンからこのトレッキングでいちばん奥にある集落であるキャンジンまで向かう。その日の朝食の間、ダ・デンディ・シェルパは日本人に対して少しご立腹の様子だった。ネパール語の中に「ジャパニ」という言葉が聞き取れた。その年に、とある有名な山に登ったヒマラヤ登山隊をでの、とある日本人数名の行動について。どこに行った誰とか、詳細は差し控えるが、まあ、時々日本でも問題になっている、疲れたからといってやるアレだが・・・
キャンジンまでの道にはところどころストゥーパやチベット文字を刻み込んだ塀がある。出発から3~4時間くらいでキャンジンに到着する。標高は3900mで、富士山より高いところだが、ロッジが十数軒もあり、カフェもあり、牧畜なんかもしていて、れっきとした生活の場だ。この村にはキャンジンゴンパという、チベット仏教で由緒ある重要な寺院もあるらしい。「ゴンパ」はチベット語で「寺院」という意味で、この地がチベット文化圏にあることが分かる。ちなみにその手前の、標高3450mのランタンではジャガイモなどの野菜も栽培しているが、毎年(トレッキング中も何回も目撃した)猿が農作物を食べに来て困っているという。
宿泊先のロッジに入り、昼食を取るが、ここで高山病の徴候を感じ始める。パルスオキシメーターで測る酸素濃度も昨日までは80以上だったがここに来て50~70代に下がった。午後、高地順応のために集落近くの展望台(標高4500mくらい)に登る。展望台の頂上近くだけ岩場で、少し氷が張っていた。展望台からはランタン・リルンやキムシュン、ナヤカンガなどがよく見える。
夕方になると何だか外が騒がしいので何かと思ったら、村人の一人が亡くなったらしい。
翌朝、泊まっているロッジの隣の敷地で線香を焚いたり炊き出しをしたりで、葬式が行われている様子をロッジのベランダから眺めていた。シェルパは昨晩ずっと読経が続いていて眠れなかったと言っていた。この日は、当初はヤラピークのベースキャンプ(ヤラカルカ)まで行く予定だったが、まだ血中酸素濃度が戻らないので一日レストとした。ちょうどその日、ランタンにいたラマ僧の団体がキャンジンにも来ていて、キャンジンゴンパで法要をしたらしい。私は気付かずに行かなかったが、ガイドとポーターは参加したようだった。ただ、村を散歩しているときに、ちょうど法要が終わって寺から出てきた人たちに出会ったので、ラマ僧たちがヘリに乗ってカトマンズに帰るところを見学した。
その後、キャンジンゴンパの少し上にある仏塔まで登ってみた。羊かヤクの母子が近くで草を食んでいた。ここもランタンリルンがよく見えたので、ここでも少しスケッチした。
コメントを残す