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ヒマラヤ・ランタン谷・ヤラピーク山行(5)
9~11日目:キャンジン~リミチェ~シャブルベシ~カトマンズ
朝食を摂ってからキャンジンを後にする。行きでは起点のシャブルベシから最奥のキャンジンまで3日かかったが、帰りは2日の予定だ。将来、この谷へ車道が延びてくれば、もっと短期間で登山して帰ってこれるようになる可能性がある。ランタンでは、再び地震による雪崩・地滑りの跡を乗り越えて進む。地震の犠牲者が眠る墓に手を合わせる。
ネパールに来てからというもの、乾期でずっと晴れていて天気の変化に乏しい(ずっと天気が良いとも言う)。帰りもサングラスと日焼け止めは必須である。時々茶屋で休憩しながら、途中シャクナゲをスケッチしながら足早に下りていく。
帰りの1日目の宿は、普通ならラマホテルだが、今回はそこから2~30分くらい先にあるリミチェに泊まる。ラマホテルは森の中の閑静な集落という感じだが、リミチェは宿が一軒だけで(見えないところに家があるかも知れないが)、一方が谷側に開けていて展望のよい宿屋だ。リミチェからはシャブルベシへ至る、来たときとは別の道もあるようだが、あまり使われていないらしい。12月はシーズンから少し外れているのでその場で宿が取れたが、ハイシーズンには事前の予約が必須である。
翌日も朝食を摂ってから9時くらいに出発。シャブルベシのすぐ手前の、滝がすぐそばにあるロッジで昼食を摂る。ここを経営しているのはタマン族らしいが、家族でずっとしゃべり続けている。シェルパによればタマン族は(シェルパ族と違って)口ばかり動かして手を動かさないからずっと貧乏なままらしい。ニワトリがたくさん放し飼いにされていたので、そのうちの一羽を買って捕まえてシャブルベシでの夕食にすることにした(4000ルピー≒4400円)。シャブルベシに到着したらポーターが料理してくれた。とりあえずブロイラーとはまったく違い、最近食べた鶏肉の中では最高に美味しかった。
シャブルベシまででいわゆる登山は終了で、翌日に車でカトマンズに戻り、ちょっとだけカトマンズ観光をして日本に帰る。
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ヒマラヤ・ランタン谷・ヤラピーク山行(4)
7日目:キャンジンからヤラカルカ
朝キャンジンを出発する。この日は「シェルパイスティ」というシェルパ族の朝食を食べる。山椒とか野菜がたくさん入ったうどんのようなもので、すごく気に入ったのでこの日以降朝食は全部これにした。出発してから、途中キャンジン・リ、ツェルゴ・リへ行く道と分かれ、ツェルゴ・リの南東斜面を回り込むようにつけられた道を進む。何回か凍った沢を越える所があって危険なのはそのくらいだった。斜面にはところどころ放牧されているヤクが見える。休憩中にバナナとかミカンを食べたが、その皮を岩の上とか分かりやすいところに置いておくと家畜が食べに来るという。実際置いておいて、後日帰りに通りかかったらなくなっていた。12月の4000mを超える場所でも雪はあまりなく、登っている間は太陽に照らされていると暑いくらいで、それでいて空気は冬らしく冷たいので変な感じだ。
6時間くらい歩いたところで宿泊地のヤラカルカに到着。石囲いが点在し、まあまあ平坦な平原である。この日テントを張るのは私たちのパーティーだけだった。
テントを立てて昼食を摂ったりなどしていたが、この頃から急に寒気を感じるようになった。登っている間、太陽に照らされて暑いくらいだし、運動中なので体が温かかったから勘違いしてしまったが、キャンプ地に到着したらちゃんとダウンの上下を着て寒さ対策をする必要があった。それを怠ったせいで体が冷えてしまって、風邪の症状が出たようだ。こうなっては仕方ないので、終始温かくしながら回復を祈って休んだ。
8日目:ヤラピーク~キャンジン帰還
翌日、とりあえず行けるところまでということでヤラピークまで登り始める。カルカから上の地面は八割くらい雪に覆われているが、薄いので登山靴で歩く分には何の支障もない。ポーターに至ってはスニーカーみたいな靴で歩いている。木は一本もなく、積雪が十分にあればスキーもできそうだ。
ヤラカルカからは、目標のヤラピークは頂上部分だけ岩場なのが見える。そこを目指して見渡す限りの雪原をひたすら上がっていく。危険なところはないが、4000mを超える高地な上に風邪引きなのでペースは遅い。結局、時間と体調を考えて5000mくらいの地点で引き返すことにした。折り返し地点で何枚か鉛筆でスケッチをした。
下りは速いし楽だろうと思ったが風邪の影響が思いのほか重く、急斜面の下りで踏ん張りが効かず何度も転げ落ちそうになった。日本で登山中に風邪を引いたことなどなかったので、体調を崩すとこうなるのだ、という経験にはなった。小刻みに足を運ぶやり方で安定して降りられるようになった。キャンジンに到着すると、呼吸も楽になった。翌日から帰りでひたすら下りになるので若干楽にはなるはずだが、早めに寝て体力を回復させる。次回の旅は成功させたいので、高山病だけでなく風邪予防法も考えておかないといけない。
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ヒマラヤ・ランタン谷・ヤラピーク山行(3)
5~6日目:キャンジン
ランタンからこのトレッキングでいちばん奥にある集落であるキャンジンまで向かう。その日の朝食の間、ダ・デンディ・シェルパは日本人に対して少しご立腹の様子だった。ネパール語の中に「ジャパニ」という言葉が聞き取れた。その年に、とある有名な山に登ったヒマラヤ登山隊をでの、とある日本人数名の行動について。どこに行った誰とか、詳細は差し控えるが、まあ、時々日本でも問題になっている、疲れたからといってやるアレだが・・・
キャンジンまでの道にはところどころストゥーパやチベット文字を刻み込んだ塀がある。出発から3~4時間くらいでキャンジンに到着する。標高は3900mで、富士山より高いところだが、ロッジが十数軒もあり、カフェもあり、牧畜なんかもしていて、れっきとした生活の場だ。この村にはキャンジンゴンパという、チベット仏教で由緒ある重要な寺院もあるらしい。「ゴンパ」はチベット語で「寺院」という意味で、この地がチベット文化圏にあることが分かる。ちなみにその手前の、標高3450mのランタンではジャガイモなどの野菜も栽培しているが、毎年(トレッキング中も何回も目撃した)猿が農作物を食べに来て困っているという。
宿泊先のロッジに入り、昼食を取るが、ここで高山病の徴候を感じ始める。パルスオキシメーターで測る酸素濃度も昨日までは80以上だったがここに来て50~70代に下がった。午後、高地順応のために集落近くの展望台(標高4500mくらい)に登る。展望台の頂上近くだけ岩場で、少し氷が張っていた。展望台からはランタン・リルンやキムシュン、ナヤカンガなどがよく見える。
夕方になると何だか外が騒がしいので何かと思ったら、村人の一人が亡くなったらしい。
翌朝、泊まっているロッジの隣の敷地で線香を焚いたり炊き出しをしたりで、葬式が行われている様子をロッジのベランダから眺めていた。シェルパは昨晩ずっと読経が続いていて眠れなかったと言っていた。この日は、当初はヤラピークのベースキャンプ(ヤラカルカ)まで行く予定だったが、まだ血中酸素濃度が戻らないので一日レストとした。ちょうどその日、ランタンにいたラマ僧の団体がキャンジンにも来ていて、キャンジンゴンパで法要をしたらしい。私は気付かずに行かなかったが、ガイドとポーターは参加したようだった。ただ、村を散歩しているときに、ちょうど法要が終わって寺から出てきた人たちに出会ったので、ラマ僧たちがヘリに乗ってカトマンズに帰るところを見学した。
その後、キャンジンゴンパの少し上にある仏塔まで登ってみた。羊かヤクの母子が近くで草を食んでいた。ここもランタンリルンがよく見えたので、ここでも少しスケッチした。