最初英語に興味を持ち、それを職業にしながらも、その後山に登って絵を描いている。
自然の中に入ると、見つかる絵のモチーフは無限だ。誰もが眺めるピークの形や可憐な花や滝ばかりではなく、曇った空、木、苔、渓流、カモシカ、ルリビタキなどの鳥、…冬なら木に積もった雪、シュカブラ、雪崩の跡、氷瀑、まれにひょっこり前を走る兎など。そして青空に映える白銀の峰。そうしたものを眼前にしての制作は幸せを感じるひとときだが、一生のうちにそのどれかひとつでもちゃんと描くことができるだろうか、という気持ちもある。
しかし、山に入って制作をしているうちに、山というモノを考えるときは、その上の空、ぶつかってくる風、山を流れ下る水、それをちょっと利用して生きる動植物、などと一体で考えなければならないのではないかと思うようになった。言葉を替えれば物質の移り変わり、流れ、もしくは関係性のようなものだ。
そしてそれを絵にしている自分は何なのか、ということも気になる。自分としては、私の目に映る自然を、自分なりの解釈で描くしかない。
自分は自然にとっては何の意味もないし、結局ただ自分勝手に利用しているだけであろう。ただ、自分にとって目の前の山や川などの自然は、友達や師のようであってくれればいい、といつも願っている。